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初代談洲楼 燕枝(だんしゅうろう えんし、天保8年10月16日(1837年11月13日) - 明治33年(1900年)2月11日)は江戸出身の落語家。本名は長島 傳次郎。江戸小石川春日町の酒屋に生まれる。通称「二葉町の師匠」。妻の弟は春風亭錦枝(俗称「助太郎」)。 == 来歴 == *万屋勘兵衛(親類で水戸家出入りの料理屋)の養子となるが、安政3年(1856年)に初代春風亭柳枝に入門、春風亭傳枝から初代柳亭傳枝を名乗る。一時、万屋に戻る。 * 文久元年(1861年)、真打に昇進で初代柳亭燕枝と改名し小日向服部坂の席で披露。三遊派の初代三遊亭圓朝とは当時はライバル同士で燕枝は柳派の頭取、年齢が一つ違いで没も半年違い。 * 明治元年(1868年)、「落語睦会」の頭取、議長、社長を勤めた。 * 明治12年(1879年)、仮名垣魯文から「あら垣痴文」の名を貰う、のちに「自慢額成」も名乗った。 * 明治14年(1881年)12月、落語史上初の「シカ芝居」を上演する。 * 明治18年(1885年)3月7日、初代談洲楼燕枝を襲名し両国の中村楼で披露行う。 * 明治21年(1888年)、三遊亭圓朝等と共に「演芸矯風会」の評議員に就任。 * 明治23年(1890年)、柳派の頭取を3代目春風亭柳枝に譲り引退。動脈瘤破裂で死去。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「談洲楼燕枝 (初代)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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